6、7話6僕が学校へ行くと、秋元さんは来ていなかった。その代わり、秋元さんの友達が僕に話し掛けてきた。 「べ・・幸田君、里美とは話したの?」 「いや・・何の話?」 この人が僕のことを便秘って言いそうになったことは、あまり気にならなかった。そんなことよりも、秋元さんがどうしたのかが気になった。 「え・・まさか知らないってことないよね・・。里美が学校辞めたこと・・」 ・・その事実は、まさに僕にとっては寝耳に水なことであった。 僕は、全速力で自転車をこいだ。雨の中をびしょ濡れになりながら。 4日ぶりに学校に行った僕は、秋元さんが家の事情で学校を辞めて実家に帰るということを知った。彼女は、今日実家に発つらしい。 「里美はあなたのことが好きだったの。言ってたよ、最初はペットに似てたからあなたに優しくしていたけど、そのうちにあなたのことを好きになったって・・」 秋元さんの友達は、僕にそう教えてくれた。 秋元さんは、僕のことを好きだったのだ。好きだから、自分が実家に帰ることをなかなか言い出せず、僕が携帯を落としたあの日に、やっと僕に言う決心をして電話をかけたらしい。僕はその電話を川に落としてしまったけど・・。 彼女は、今日の3時の電車に乗って、飛行場に向かうらしい。僕は腕時計を見た。その電車に乗る前に駅に着いて、僕が彼女を捕まえるためには、自転車ならばギリギリ間に合う時間だった。 4日前、帰るときに雨が降ってきたため、学校に自転車を置いたままにしていた。そのおかげで、僕は自転車に乗って駅へ向かうことができた。僕にこんな風に運が良いことが起こるなんて本当に珍しい・・。 僕は、自分は運が悪いということに卑屈になっていた。けれど僕は、本当は幸せな人間だったのかもしれない。自分が好きな人に、僕は好かれていたのだから。 僕は自転車を思いっきりこいだ。今ならまだ間に合う。そうやって前向きに考えていれば、きっと間に合う。 バスはきっと遅れる。タクシーなら渋滞につかまるか検問に会って足止めをくらう。しかし自転車ならきっと間に合う。自分の力で間に合わせるのだ。 必死に自転車をこぎながらチラリと腕時計に目をやった。 これなら間に合う・・・。 しかし、そう思った瞬間、ガキンっという金属音が聞こえた。 そして、今までスムーズに僕の足からタイヤへと力を伝えていたペダルが、空を回るように力を失った。踏み込んだ僕の足が何の反力も受けなかったことで、僕と自転車はバランスを失い倒れてしまった。 自転車のチェーンが切れたのだ。 僕は道路脇の草むらに投げ出された。びしょ濡れの僕は仰向けに空を見上げるかっこうで倒れた。 7 なぜ、こうなんだろう。僕は、運が悪い。 電話を川に落としたために、僕が落ち込んで学校に来なかったために、この3日間は彼女の気持ちが僕に伝わらなかった。 僕がそれを知った時には、彼女ともう一度会うためにはギリギリな時間で、雨の中を精一杯に自転車をこいだ。すると今度はチェーンが切れて僕は草むらに投げ出された。 僕は、雨粒が落ちてきている空を見上げた。顔に雨粒が当たってはじけたものと、目から溢れ出す涙の雫が混ざって、目の前はぼやけていた。僕は泣き出していた。ああ、どうしてこんなことになるのだろう。涙が次から次へと溢れ出してくるのがわかった。 けれど、泣きながら、僕は笑いだした。大声で笑いだした。運の悪い自分を笑い飛ばしてやろうと、大声で笑ってやった。 秋元さんの言葉を思い出したのだ。笑う門には福来る。不幸も笑って流せるくらいの気持ちがあれば、きっと幸運はやってくる。周りには人は居なかったが、もしいたならば気味悪く思うだろう。自転車で転んだ男が空を見ながら大声で笑っているのだから。 僕は、腕で涙を拭ってから立ち上がり、そして走り出した。それでも涙は溢れてきたが、そんなことはお構いなしに、泣き笑いながら走った。 今の自分の境遇を笑い飛ばしてやる。たとえ間に合わなかったとしても、その不運を笑い飛ばしてやる。そういった気持ちで、僕は走った。駅まで走った。間に合わないかもしれない。それでも、とにかく走りつづけた・・。 駅に着いた僕は、腕時計を見た。 時間は・・・ギリギリだ。 僕は券売機で切符を買ってから、改札を通ってホームに行こうと思った。券売機にお金を入れて、切符のボタンを押す。・・しかし、切符は出てこなかった。僕はイライラして何度も券売機のボタンを押した。すると券売機は、ピーっという音とともに販売停止のランプを点し、その機能を止めた・・。 「ちくしょう!やっぱりだ!」僕は叫んだ。 そして、腕時計に目をやると、彼女が乗る予定の電車は、もう出てしまっていた・・。 次の電車に乗って後を追うことも考えたが、それでは僕が空港に着く頃には搭乗手続きを終えていて、彼女に追いつくことはできない。結局、間に合わなかったのだ。 僕は、やっぱり運が悪い。秋元さんの気持ちを知っても、自分の気持ちを伝えることができなかった・・。 その瞬間、後ろから声が聞こえた。 「やっぱり、幸田君だ・・」 僕がその声に反応して後ろを振り返ると、そこには、秋元さんが居た。 「叫ぶ声が聞こえたから・・。幸田君、びしょ濡れじゃない。どうしたの?」 「あ・・秋元さんに会うために急いで・・実家に帰るって聞いたから・・・。」 「私に会うため・・?」 目の前に秋元さんが居る。これは、神様が僕にくれたたった一つの幸運なんじゃないかと思った。今彼女に気持ちを伝えなくては、もう二度とそんな時は来ないという気がした。 「秋元さん、僕は、秋元さんのことが好きです。」 僕は、彼女に気持ちを伝えた。彼女は、一瞬驚いたあと、目に涙を浮かべた。 「わ・・私も、幸田君のことが・・」 そう言って秋元さんは、僕に抱きついてきた。 僕は、秋元さんまで汚れてしまうと言ったが、秋元さんは首を横に振ってさらにきつく抱きついてきた。 秋元さんが僕に抱きついている、それは、僕の今までの人生の中で、最も幸福な瞬間だった。 その幸せをかみ締めながら、僕は聞いた。 「・・ところで秋元さん、どうしてここにいるの?もう電車に乗って空港に向かってる時間じゃ・・」 「台風で飛行機が全便欠航になってるみたいだから、明日の飛行機で帰ることにしたの・・」 なんという幸運だろう。飛行機が欠航になるなんて・・。 秋元さんは僕から少し体を離し、僕の目を見てこう言った。 「まったく、幸田君のせいだからね。雨降らせすぎだよ・・」 そして、彼女はまた強く抱きついてきた。 ・・・次の日、秋元さんは実家へと帰っていった。 僕は、やっぱり運が悪いのかもしれない。好きな人とやっと気持ちが通じ合えたと思ったら、すぐに遠距離恋愛になってしまった。 けれど、僕はもう、自分の運が悪いことでめげたりはしない。僕は人より運が悪いかもしれないけど、今、僕は幸せだから。 彼女を空港まで見送りに行った時に、僕は聞いてみた。 「昔飼ってたペットに、僕が似てるんだって?」 「うん・・秘密にしようかと思ってたんだけど。ペロちゃんって言うの。可愛かったんだぁ。私が小さい時に死んじゃったんだけど・・。」 「ペロちゃんって、犬?」 「・・いや、犬じゃないんだけど・・。」 「じゃあ、猫とか?・・ハムスターとかウサギとか?」 彼女は、言いにくそうにしていたが、まあいいか、と言う感じで答えた。 「実はね、・・・金魚なの。お祭りですくってきた、普通の赤い・・」 き・・金魚・・・。 僕が金魚に似ていたおかげで、彼女は僕のことを好きになり、僕は彼女のことを好きになった。 そのおかげで僕は幸せであるのだから、気持ちは複雑だが、僕は運が良いのかもしれない・・。 僕の名前は幸田実。僕は、人よりも運が悪いだろう。 しかし、僕は今、名前のとおりに最高の幸せを実らせている。 おわり あとがきへ |